それは愛ですか、それとも、執着ですか
- 2011年01月06日 |
- ├男女の愛 |

あなたは「Needy(ニーディ)という言葉を聞いたことがありますか。
ニーディは、日本語に直訳すると「貧困者」や「生活(お金)に困っている」というような意味として訳されてしまいますが、英語圏では、違ったニュアンスとして使われています。
たとえば、もしもあなたに、友人がほとんどいない場合、あなたは、友人関係に関して、ニーディであるといえます。
もしもあなたが、仕事をしていなかったら、あなたは、仕事・キャリアに関して、ニーディであるといえます。
もしもあなたが、食べ物がなくて困っていたら、あなたは食べ物に関して、ニーディであるといえます。
もしもあなたが、収入がなかったら、あなたは金銭に関して、ニーディといえます。
もしもあなたが、友人、知人などと良い人間関係を持っていなかったら、あなたは交流関係にニーディといえます。
これらのたとえを見ておわかりになったかと思いますが、つまり、ニーディとは「私たちが生活をしていくうえで、必要なものが不足している状態のこと」という意味になります。
そのような人のことを、英語では「Needy person(ニーディ・パーソン)」と言います。
ニーディ・パーソンは、生活をしていく上で、何かが不足しています。
ですので、不足しているものが多ければ多いほど、「誰かに頼らなければ生きていけない」という状態になります。
たとえば、仕事をしていなくて、収入がない。
収入がなければ、食べ物もや洋服といった生活必需品を購入することができない。
そうなると、誰か「お金を与えてくれる人」に頼る必要があります。
それは夫や妻かもしれないし、自分達の両親かもしれません。
これが、金銭面でのニーディなのです。
世の中には、不本意な夫婦生活を送っている人たちが多いかと思います。
夫(妻)の浮気、不倫、ギャンブル、借金、冷え切った夫婦関係など、さまざまな問題を抱えながらも、妥協して生活をしている夫婦が多いのではないでしょうか。
愛情がないのにも関わらず、経済的な部分で一緒にいることが必要だから、妥協しながらも一緒にいるご夫婦もいることでしょう。
たとえ、自分が夫(妻)から大切に扱われず、不本意な状態であったとしても、妥協して一緒に生活をしている状態は、何かしらのことに対して「ニーディ」であることを物語っています。
もしもあなたが、経済的にも恵まれ、そして自分の好きなことが自由にでき、自分の欲しいものや求めるものが全て手に入っている状態だったとしたら、それでも、あなたは、あなたの夫(妻)と一緒にいたいですか。
もしもあなたの答えが「ノー」であったとしたら、あなたは、何らかの部分に対して「ニーディ」なのかもしれません。
そして、もしかしたら、あなたが今「愛」だと思っていることは、本当は「執着」かもしれません。
ニーディでいることが、必ずしも悪いわけではありません。
ただ、私たちは、ニーディである部分が多ければ多いほど、「自由」になれる部分が減っていくのものなのです。
多くの人たちは、たとえ理不尽なことを相手からされたとしても、自分が必要なものを得るために、そして、自分が必要なものをキープするために「我慢」という道を選択することになるわけです。
ニーディである部分が増えれば増えるほど、私たちは「妥協」と「我慢」を強いられる人生を送っていくということになるのです。
だからこそ、私たち人間は、ニーディであればあるほど、「相手に執着」をしてしまうものなのです。
執着と愛は、全く違うものです。
あなたが「愛」だと思っているもの。
それはもしかしたら「執着」かもしれません。